
その一拭きが信頼を築く。ホテルバーの矜持が宿る「グラス磨き」の真実
すべては「見られている」という意識から
バーのカウンター内は、いわば舞台です。
グラスを磨く姿すらも、お客様にとってはバーの風景の一部。
だからこそ、バーテンダーは「真っ白なクロス」を手に、見られることを意識した所作でグラスを扱います。
私の場合、左手でグラスの底をクロス越しにしっかりと支え、まずはグラスの周りを2周。
そして右手の親指を使い、内側を丁寧に磨き上げていきます。
最後にグラスを高く掲げ、光に透かして一点の曇りもないかを確認し、静かに棚へ戻す。
この一連の所作が美しければ、お客様は「この人なら、きっと丁寧で美味しいカクテルを作ってくれる」と確信してくださるのです。

些細な「ミス」が招く、大きな代償
もし、縁がわずかにチップ(破損)したグラスをそのままお客様に出してしまったら?
それは単なる「不注意」では済まされません。
ホテルのバーでは、自分から上司、そして管理職へと報告が上がる大問題に発展します。
お客様にとって、その一杯は一日の、あるいは一年の大切な締めくくりかもしれません。
たった数ミリの欠け、たった一つの拭き跡が、積み上げてきた信頼を一瞬で崩し去る。
その重圧を、私たちは常に背負っています。
磨きの甘さは「味」に出る
「綺麗に見える」だけでは不十分です。
例えば、ビールグラスの磨きが甘く、目に見えない油汚れが残っていたらどうなるでしょうか。
状態の良いグラスであれば、飲んだ後にグラスの側面に美しい泡の層「エンジェルリング」が残ります。
しかし、汚れがあれば泡は無残に弾けて消えてしまう。
「たかがグラス磨き」と思うか、「されどグラス磨き」と向き合うか。
何百とあるグラス一つひとつに、私たちは誠実さを込めていきます。

華やかなカクテルの背景には、こうした「裏方」としての徹底した準備があります。
次にカウンターに座られた際、バーテンダーがグラスを磨く手に注目してみてください。
そこには、お客様に最高の夜を届けるための、静かな誓いが込められています。