朝方の練習

技術は営業時間外に動く。「先輩の時間を使う」という職人の教育プロトコル

著者: hik

営業中に教わるのは「業務」であり、「技術」ではない

現代の一般的なビジネスシーンでは、OJT(On the Job Training)を含め「就業時間内に技術を教わる」のが標準的なプロトコルです。
しかし、私が身を置いていた高級ホテルやクラシックバーという「匠の世界」のアーキテクチャは、それとは全く異なるコードで動いていました。

もちろん、営業中に教わることもたくさんあります。
ただしそれは、バックバーの動線や清掃、注文の通し方といった「店舗のオペレーション(業務)」です。

カクテルを美味しくするための真の「技術(シェイキング、ステア、カッティングなど)」は、営業中に教わることは決してありません。
なぜなら、お客様からお金をいただく営業時間は、すでに完成された100%のプロフェッショナルとしてカウンターに立つべき時間だからです。

では、私たちは一体いつ、その技術を血肉に変えていたのでしょうか。

「先輩の時間を使う」という、最大のリスペクトとコスト

答えはシンプルです。
休憩時間、深夜、朝、そして仕事終わり。つまり、営業時間外の「自分の時間」を削るしかありませんでした。

ただ、ここで勘違いしてはいけないのが、「自分一人で自主練習する」ことと「先輩に教わる」ことの決定的な違いです。
自分の時間を使って一人でボトルを振るだけなら、それこそ自分の気持ち(モチベーション)次第でどうにでもなります。
しかし、そこに「先輩に技術を見て、教えてもらう」というフェーズを追加する場合、そこには「先輩の貴重なプライベート時間を使う」という強烈なコストが発生します。

今のタイパや労務管理が叫ばれるご時世から見れば、少し違和感を覚える感覚かもしれません。
しかし当時の私たちにとって、先輩の時間をいただくということは、相手の睡眠時間や休息を奪うことに他なりませんでした。
だからこそ、そこには絶対的なリスペクトと、緻密な「先回り(ハック)」が必要だったのです。

早朝の準備

朝の時間をハックする。泊まり明けの「完全先回り」ルーティン

例えば、自分が「泊まり明け(24時間勤務)」の業務の時。
翌朝に先輩からワンポイントの指導を受けるために、私は前日のうちから以下のようなリソース確保(根回し)を徹底していました。

「明日、朝の作業が終わった後に、ステアを見ていただけないでしょうか」

前夜にそう伝えた瞬間から、翌朝のタイムアタックが始まります。
先輩に教えてもらう時間を1分でも多く確保するため、そして何より
「自分の仕事を疎かにして教えてもらおうとしている」
という甘えを排除するため、翌朝は誰よりも早く動きました。
先輩が本来やるべき朝のルーティンワークを全て自分が先回りして終わらせ、同時に自分のタスクも大方片付ける。

いつでも技術をインプットできる状態にして初めて、先輩の前に立つ資格が得られるのです。
当然、睡眠時間は限りなくゼロに近づきます。
しかし、その限界の中で教えてもらう5分、10分の技術の重みは、昼間の研修の何時間分にも匹敵するほどの密度がありました。

ステア

結びに:あの限界のプロトコルが、今も私を支えている

今振り返っても、あの頃の生活は肉体的に間違いなくハードでした。
ですが、不思議と辛かったという記憶はありません。
むしろ、自分のすべてのリソースを「技術の習得」と「先輩への先回り」に全振りしていたあの日々は、圧倒的に楽しく、純粋に努力を楽しめていた最高の時間でした。

相手の時間に対するコスト感覚、そして
「教えてもらうために、まず自分が相手に何を提供できるか」
を考える先回りの思考(ギブ・アンド・テイク)。

時代は変わり、教育の形は洗練されましたが、あの泥臭い職人の世界で叩き込まれた「時間とリスペクトのプロトコル」は、形を変えて今もなお、エンジニアとしての私の大きな財産となっています。

まだまだそんな世界で育ってきた人がたくさんいます。
どんな風に仕事を覚えていけばいいか。
社会人として悩まれている方は是非こんな行動をしてみてはいかがでしょうか。